2014年 08月 31日
揺れる天空で決死の塗装 ---------------------------------------- 一枚の写真がある。東京タワー(333メートル)の完成直前、目もくらむ天空の鉄塔上で決死のペンキ塗りをした三人の若き職人たち。中央に立つのは今も足立区古千谷本町で塗装業を営む斉藤悟郎さん(71)である。 ※東京タワーの最上部近くの鉄骨に立つ斉藤さん(中央)と仲間たち。はるか下に学校の校庭が=昭和33年(フォトサービス・マツナガ提供) 撮影したのはタワーに近い港区三田のフォトサービス・マツナガの亡き店主、松永寿郎さん。昭和三十三年十月のことだ。写真館を継いだ娘の田島みどりさん(58)は、鉄骨が組まれタワーが天空に伸びていく日々を今も鮮やかに覚えている。 「まだ小学生で、学校の屋上に上がると眼前に建設中のタワーが見えました。大きくて幼心にもすごいなあ、と感動したもんです。図画の時間はみんなそればかり夢中で描いていましたよ」 寿郎さんはタワーの迫力に魅せられ、仕事を中断しては撮影に出かけ妻の知江子さん(84)にしかられていた。そんな写真館の近くにあったのが斉藤さんら塗装職人が寝泊まりする宿舎だった。やがて顔見知りになった松永さんはある日、工事中のタワーに「上げてほしい」と頼み込む。厳しい規制もないのどかな時代で、簡単に許可が出た。斉藤さんが記憶をたどる。 「だんなが連れてって、と言うのでジャンパーとヘルメットを貸して案内した。展望台へはまだエレベーターもなく上がり下がりはすべて階段を歩いた。だからきついし怖かったと思う。その時三人で撮ってもらった写真は今では私の貴重な記念です」 三人は命綱もつけず一人は細い鉄骨上でポケットに手を入れて立っている。はるか眼下には小学校の校庭で遊ぶ児童の姿が豆粒のように見えた。今では考えられない危険で無造作な姿だが、斉藤さんは「別に怖いと感じたこともなかった。命綱をつけると移動できず、仕事も進まないんで誰もつけなかった」という。 だが天空への階段は、不慣れな松永さんには厳しく衝撃的だった。「帰ってくるなりヒザが震え、布団に倒れ込んでしまった。母は仕事が忙しいのに、と怒っていましたっけ」とみどりさん。昭和五十四年、松永さんは交通事故で不慮の死を遂げる。六十二歳だった。不運なことに撮りためたタワーの写真はその後、雨漏りで大半を失い今は数えるほどしか残っていない。 東京タワーの最後の塗装は二カ月近くに及んだ。新潟出身の斉藤さんは当時二十二歳。宿舎には六十人ほどの職人が泊まり込んでいた。みんな気が荒く毎日けんかが絶えなかった。それを仕切ったのが軍隊の工兵上がりという頭領だった。 「背は低いが力があってケンカが強くてね、職人らが言うことを聞かないと投げ飛ばしていた。なぜか私はかわいがられたなあ」 ある日、頭領と上から塗装を点検しながら階段を下りていたら反対側の鉄骨にわずかな塗り残しが見つかった。頭領が「お前行って塗ってこい」という。ペンキを入れたカンを持ち、鉄骨の梁(はり)に踏み出した。命綱はない。しかも天空の梁は風で揺れている。肝も足もちぢんだ。 「長い仕事の中で、あんなに怖い思いをしたことはない。落ちるかもしれない、と初めて思った。恐怖と戦いながら必死に塗り終えたが、緊張で体から脂汗が噴き出したのを今も覚えている」 今ならそんな危険な行為は絶対禁止だが、当時は安全策も不十分。職人は技と度胸を頼りに決死の思いで戦っていたのだ。タワーはそうした名も知れぬ職人の気概に支えられ、完成していったのである。 「開所後、郷里から母親を呼び、はとバスに乗せて東京タワーを見せたらものすごく喜んでくれてね。いい親孝行ができて私もうれしかった。友達もたくさん来てくれたなあ」 あの日から、半世紀近い歳月が流れた。斉藤さんは後に独立し、バブルのころは広い駐車場を借り切るほど繁盛したが、今は近隣を中心にゆっくりと仕事を続けている。 「今では素晴らしい仕事をしたと思っています。以前テレビの取材を受け、同窓会で一躍郷土の有名人になってしまって。うれしいやら照れくさいやら。あのタワー誕生に関われたことは私にとって生涯の誇りであり、懐かしい思い出ですね」 その間に、ともに働いた頭領や多くの先輩、友人が先立っていった。だが消える命があれば生まれる命もある。今では目に入れても痛くない幼い孫が二人まとわりついて離れない。「孫はまだ東京タワーを見たことがない。正月にも連れて行こうかと思っているんです」 その時はこう言うつもりだ。「このタワーは五十年前、おじいちゃんが塗ったんだぞ」と。 <年齢などは連載当時のものです> ※[50年前、開業前日の東京タワー]東京タワーが完成した時に本社機から写した当時は珍しい航空カラー写真。周辺にはビルもホテルもなく、低い家並みがひろがっていた=昭和33年12月23日 TOP頁へ
by tokyobojo
| 2014-08-31 07:31
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アバウト
著者プロフィール
田中哲男(たなか・てつお) 昭和39年東京新聞(中日新聞東京本社)入社。社会部、特別報道部などを経て横浜支局長、特別報道部長、東京中日スポーツ総局長、編集委員などを歴任。自著・共著に「富士異彩」(平成7年度日本新聞協会賞)「翔べカルガモの子よ」「今どきの若者たち」「荒川新発見」など。平成16年、東京新聞創刊百二十年を記念して横浜の日本新聞博物館で「創刊百二十年展」を担当、同時に本紙の歩み「日々激動」を長期連載、出版。近著に「焦土からの出発」。平成19年度中日新聞社特別功労賞。東京生まれ。
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