2014年 07月 17日
屋上にクジラを泳がせろ ------------------------------------------ 閑散とした駅前広場、古めかしい車、まばらな人影。写真は昭和三十四年三月、今をときめく渋谷駅界隈(かいわい)を南平台方面から写したものである。なんとのどかな風景だろうか。 写真を虫眼鏡で見るうち、ふと心が和んだ。中央広場の奥で二人の子供のキャッチボール姿が小さく映っているのだ。赤バットの巨人軍川上哲治が引退し、長嶋茂雄が鮮烈に活躍し始めたころだ。そのころ子供たちは広場があれば必ず野球をしたのを懐かしく思い出す。 真正面に見えるビルは昭和三十一年に開業した東急文化会館で、屋上の丸いドームが五島プラネタリウム(平成十五年解体)だ。真っ暗な天空の星座に宇宙のロマンを思い描いた方もいよう。この宇宙館誕生には面白い秘話がある。 戦後十年、かねて渋谷の復興に豪腕を振るっていた東急の総帥、五島慶太はある日、社員にとてつもない指示を出した。 「文化会館の屋上に水族館をつくってでっかいクジラを泳がせよう。子供たちが喜ぶぞ」 社員は仰天した。なんという発想か。当時プラネタリウムの設立にかかわり最後の館長を務めた村山定男さん(82)は回想する。「冗談だと思いますが、何事も考えが壮大な方でしたから本気だったかもしれません。ともかく社員は困っていました」 だが屋上でクジラを飼うのは設計上も難しい。ではクジラに代わる壮大な物はあるのか。そんな時、プラネタリウム建設の話が持ち上がったのである。 「文化会館といっても映画館ばかりで文化がない。天文専門家の方々が学術普及と子供の教育のためにもぜひつくって、と嘆願書を出したところ、五島さんは大変乗り気になられて…」 こうして当時七千万円という巨費を費やして日本最大規模のプラネタリウムの建設が始まったのだ。五島はこの計画が大変気に入ったらしく準備委員会にも熱心に顔を出し村山さんに言ったという。「キミ、宇宙はいいなあ。壮大で夢があって…」 宇宙に求めた夢ロマン。その豪腕から「強盗慶太」とまでいわれた男の意外な一面である。 このプラネタリウムが登場したころ、渋谷駅前はまだ急変前の素朴な風景を残していた。駅前で生まれ育った写真家で元畳職人の東松友一さん(70)は当時の情景を思い出す。 「今の東急プラザ付近の駅前はまだ狭くて小さな飲食店などが並び、ボンネットバスが走る町だった。亀八寿司とか中華龍王亭とか、本屋に大衆食堂などが看板を掲げていたのを覚えていますね」 東松さんは駅に近い大和田小学校(廃校)の出身で小学二年の時、戦火を避けて富山県東野尻郡の寺に集団疎開した。勉強なんかしないで竹槍(たけやり)訓練ばかりしていたという。「食事はイモご飯や麦ばかり、いつも腹ペコで雑草のスカンポや柿のタネまで食べた思い出があります」 一年で終戦を迎え、渋谷に帰ってきたが、街は焼け野原と化し大和田小も焼け落ちていた。授業が再開されたが教室がない。みんな校庭に腰を下ろし青空教室で勉強したという。自宅は焼けていたのでトタンと板を集めてバラック住宅を建て、そこで家業を再開した。近所は空き地が多く、戦後の食糧難を食いつなぐイモ畑がそこかしこに広がっていた。 「道玄坂にはまだ広っぱがあって友達とよく野球をした。坂だから球を落とすと下へ転がり、取りに行くのに苦労した。グラブもボールも手作りだったけど楽しかったなあ」 そんなのどかな時代は三十年代に入ると、急激に変わっていく。道路が整備され、飲食店が撤去され土地も整地されて…。掲載写真は、その意味で渋谷の戦後を宿す最後の風景といえるだろう。その後の渋谷の変わり様は言うまでもない。周辺はビルや会社が増え、畳の需要が激減。明治から駅前で営んできた東松畳店もこうして昭和六十年、時代の波に押され家業を縮小するのである。 過日、渋谷区郷土写真保存会の佐藤豊さんと、東松さんの案内で同じ場所から写真と同じ風景を探したがビルの海にのみ込まれ面影すら見ることはできなかった。昭和三十年代の渋谷はすでに幻の風景である。(年齢などは連載当時のものです) ー TOP頁へ ー
by tokyobojo
| 2014-07-17 15:23
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アバウト
著者プロフィール
田中哲男(たなか・てつお) 昭和39年東京新聞(中日新聞東京本社)入社。社会部、特別報道部などを経て横浜支局長、特別報道部長、東京中日スポーツ総局長、編集委員などを歴任。自著・共著に「富士異彩」(平成7年度日本新聞協会賞)「翔べカルガモの子よ」「今どきの若者たち」「荒川新発見」など。平成16年、東京新聞創刊百二十年を記念して横浜の日本新聞博物館で「創刊百二十年展」を担当、同時に本紙の歩み「日々激動」を長期連載、出版。近著に「焦土からの出発」。平成19年度中日新聞社特別功労賞。東京生まれ。
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