2014年 07月 20日
幼なじみを結んだ赤い糸 -------------------------------------------- 中央区の佃島と明石町を結ぶ「佃の渡し」が隅田川から消えたのは昭和三十九年八月二十七日だった。佃大橋が完成し、三百年続いた“江戸の情景”はその役目を終えたのである。 佃の渡し最終日は大勢の見物人が詰めかけ、お祭り騒ぎだった。翌日の東京新聞は「最後の船には東都知事らが乗船し、最後の渡し守池田千代蔵さんが感慨を込めて最後のカジを取り、対岸の明石町に送って長いお勤めを終えた」と伝えている。 当時、月島に住む中学生で現在カメラマンの落合正さん(58)も見物人の一人だった。「完成した佃大橋の上は見物人が鈴なりで、私もそこからおもちゃのような写真機で最後の渡し船を撮ったのを覚えている。ピンボケ写真でね。確か御神輿なんかも出て、お祭りみたいににぎやかで盛大だったね」 (↓ 神主や関係者を乗せて隅田川を渡る最後の渡し船。後方の佃大橋には大勢の見物人が=昭和39年8月27日、中央区佃島で) 家は小さな木造二階建てで、両親に祖父母それに兄弟三人が重なり合うようにして暮らしていた。風呂は家にはなくて銭湯で、そこは町内の社交場であり、子どもの遊び場でもあった。夏はおもに行水。家はどこも木造で小さく軒を寄せ合っていた。佃の渡しはそんな町と外界を結ぶ貴重な足だったのだ。 「渡しはタダだったから友達とよく乗った。対岸の明石町に出て銀座の松屋に行き、おもちゃ売り場で遊んで勝鬨橋を渡って帰るのが決まりだったよ」 勝鬨橋がまだ開閉していたころで、大型船が隅田川を通るとゆっくり跳ね上がるのを小学校の屋上からよく見物したという。その雄姿は今も目に焼き付いている。超高級品だったテレビが初めて前の家に入ったのはそのころである。 「もう珍しくて大変な騒ぎだった。分厚い箱形でね。隣近所の人がたくさん集まり、正座なんかして並んで夢中で見ていた。相撲は朝汐とか栃若のころ、長嶋が立教から巨人に入り、鮮烈に活躍を始めたころだったなあ」 遅れて落合家にも待望のテレビが入った。親が宝物を扱うようにスイッチを入れ、丸形のチャンネルをカチャカチャと回し走査線がちらつく画面に見入った。「少年ジェット」という番組が大好きだった。 そのころから弟のぜんそくがひどくなり、やがて一家は田舎の空気を求めて埼玉へ引っ越していく。町名が佃島から佃へ変わった後の昭和四十二年のことだ。それが落合少年の佃島・月島青春時代の終わりだった。思えば郷愁で胸が熱くなるような日々だった。 渡しが消えて四十余年。佃も大きく変貌し、団塊世代の落合さんもまもなく定年を迎える。父は昨年八十五歳で亡くなった。まさに激変の半世紀である。 今も住吉神社本祭りの年には月島で小学校クラス会を開いている。多くが結婚して町を離れたが、この時ばかりは多忙をぬって帰ってくる。会えば懐かしい思い出話が尽きない。 「あのころの町は顔見知りが多くて人情があふれ、街全体が素朴だったなあ。あの反響を呼んだ映画“三丁目の夕日”と同じような風景だった。忘れられないね」 来年は結婚三十年になる。奥さんは同じ小学校の一級下。実は初めてテレビがやってきた前の家の娘さんである。時にはケンカもしたが幼いころから心が通い合い「おれはお前を嫁さんにするぞ」と公言していたそうだ。埼玉移転で二人は一時別の人生を歩むが、幼い時につむいだ赤い糸はつながっていた。長い歳月の後に二人は再会し”公約”を果たしたのである。「ちょっといい話」ではないか。 ところで渡船には後日談がある。この連載で深川木場の宍倉建設工業を訪ねた時、部屋の隅に船の舵輪を見つけた。社長の宍倉隆司さんに「何かいわれでも」と聞くと意外な答えが返ってきた。 「佃の渡し船の舵輪ですよ。廃止後、船は入札で売られ、縁あって当社が引き船と客船の二隻を引き取ることになったんです。八年ほど機材や土砂運搬の引き船に使った後、廃船にしたんですが、せめて佃の記念にと舵輪だけは残したんです」 ニスが塗られた茶色の舵輪は傷跡もなく真ちゅう部分には少しのサビもない。何十年にもわたり厳冬も真夏も人々を運び続けた操縦者の手の温もりを感じさせるように、四十二年後の今も柔らかく輝いていた。まさに「佃島有情」である。(年齢などは連載当時のものです) ー TOP頁へ -
by tokyobojo
| 2014-07-20 07:20
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アバウト
著者プロフィール
田中哲男(たなか・てつお) 昭和39年東京新聞(中日新聞東京本社)入社。社会部、特別報道部などを経て横浜支局長、特別報道部長、東京中日スポーツ総局長、編集委員などを歴任。自著・共著に「富士異彩」(平成7年度日本新聞協会賞)「翔べカルガモの子よ」「今どきの若者たち」「荒川新発見」など。平成16年、東京新聞創刊百二十年を記念して横浜の日本新聞博物館で「創刊百二十年展」を担当、同時に本紙の歩み「日々激動」を長期連載、出版。近著に「焦土からの出発」。平成19年度中日新聞社特別功労賞。東京生まれ。
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